「暗記」が「記憶」に変わるとき
こんばんは!ヒーローズ高浜校の野々山です。
今日明日は定期テストです!写真は今週のまた別の日の風景ですが、今日の教室は最後まで追い込みたい皆さんです~~~っごい満員でした!!「先月のテストよりも頑張らなくちゃ!」というガッツ(というより危機感?!)がひしひしと伝わってくる1週間だったと思います。
そういえば先週のブログでは「意味まで考えること」を大切にしたいよね~というお話をしましたが、自分の周囲の出来事や実体験と結びつけるのも勉強したことに実感を持たせるための有効な手段ですね。そんなことに改めて気づかされた出来事がありましたので、つらつらと…✍
テスト初日の手ごたえを聞くと「実技教科は思っていたよりも大丈夫だったわ!」という子が比較的多いのはおそらく、自分で手を動かして作ったものがあったり、生活の中で習慣として身についていたりすることが問われているからなのかなー、と考えます。
例えば技術の時間に作ったものがあるなら、実際にどう組み立てたのかは自分の経験を根拠に問題に答えることができたり、夕ご飯1つ食べるにしても「このニンジンの切り方はいちょう切りだな」とふと思う機会があるかもしれないからして、赤シートで隠したりして詰め込むような「単なる暗記」とは少し様子が違います。
それを踏まえて、何か理解しがたいことを説明する時に私が気を付けているのが先述の「実体験との結びつけ」です。しかし一番それが難しいのは歴史を覚えようとする時かなと思っていました。だって経験してないし。(笑)…そう、思っていました。
中3の歴史の範囲に「満州事変」~満州国設立の流れがあったのですが、ふと私の祖母が語った「幼かったころにたまたま満州に住んでいて、日本の戦争をよく知らなかった」という話を思い出したのです。いたじゃん生き証人!歴史って(当然だけど)今の延長線上だ!😱そこからはなんだか教科書上の話が他人事には思えなくなって、この感覚をなんとか味わってほしいと中3生に話して回るなどしました。←
言ってしまえばこれは「知る喜び」の一種でしょう。今まで説明のつかなかったことが、自分の言葉で説明できるようになる。さらに大げさに話すなら、世界のことわりをまた1つ理解する瞬間です。この有無が「単なる暗記」とそうでない「記憶」との境目なのかもしれませんね。
さあ、明日でテストもおしまい。いよいよ中3生は部活引退シーズン、そして誰の元にも努力の夏がやってきます。全力で頑張っていきましょう!
それでは、失礼いたします。